斉藤大介
こだわらない
ソーセージは「シャウエッセン」、バドミントンは「ヨネックス」、洗濯は「外干し」、目玉焼きには「しょう油」、なんでも断言する人は「信用できない」、車より「自転車」、マジョリティより「マイノリティが好き」、勉強は「自分でやろうと思わなきゃ意味がない」、人の意見は「あまり参考にならない」、西洋哲学史を知らない人は「考えが浅い人」etc.
自分のこだわりを挙げると切りがない。ず~っと「こだわりは、自分の人格形成に大切なものだ」と「こだわり」にこだわって生きてきた。失敗、孤独、不安、無力感など、人生の難局は「自分のこだわり」を頼りに、なんとか乗り越えてきたと思う。「こだわり」という鎧を身につけ、外からの攻撃を防いできた50年。
父が脳出血で倒れた。弁当屋のオーナーとしてバリバリ働いていた71歳。幸い後遺症はそんなになかったが、言語・記憶能力の低下、それにも増して「こだわり」が非常に強くなった。服を買いに行けば、肌触りを何度も確認し、寝間着を選ぶのに1時間以上かける。一度「こうだ」と思うと、もうそれ以外は考えられない。もともと「こだわり」が強い人だったが、それに拍車がかかり、息子としてホトホト疲れた。
子どもがみんな心身ともに柔軟であるとは限らない。経験と知識とズルさがまだないために、家族、学校、ネットなど身近にある価値観に染まりやすい。さらに、染みついた価値観から外れるものに対しては、NO!という頑なな態度をとることも多い。高校教諭時代、多くの子どもたちと関わってきたが、柔軟な子より「こだわり」が強い子の方がはるかに多かった。生きづらさを抱える子たちの中には、自分の「こだわり」に苦しんでいる子も多い。
ふと思い立ち、Googleで「こだわり」を検索してみた。
こだわり:比較的どうでもいい事を気にしすぎて、いつまでも気にかけたり必要以上に手を加えたりしたがることを意味する。
ええ!ショック!こだわりって、あんまりいいことじゃないの!
比較的どうでもいいことをいつまでも気にかけている。自分がこういう状態に陥っているのを、自分で気づくのは難しい。他人に指摘されても、自覚がないので受け入れられない。周囲からの「考え過ぎだよ」とか「こんな考え方もあるよ」という言葉に対しては「どうせあなたにはわからない」などと反発し、さらに意固地になってしう。まさに「こだわり」のスパイラル。これは決して他人事ではない。自分自身のことだ。
子ども・若者のサポート事業をする上で、大切にしていることがある。自分の「こだわり」を相手に押し付けない、さらに自分も自分の「こだわり」に捕らわれ過ぎないようにしよう、という姿勢だ。目の前にいる子を、この子は不登校、低学力、難関大学受験者、経済的に厳しい家庭、ひとり親などと、勝手に分類し、それに基づいて対応をしていくことは極力しないでおこう、と考えている。
私は、おーでぃなりは学校でも塾でもフリースクールでも居場所でもない、と考えている。どんなところかの判断は来る人にお任せ。自分からは強く言わないようにしている。でもこんなことを言ってること自体が「こだわり」ですね笑 ヤバい。まあ、カテゴリーは、なんでもいいです笑
このような考え方で運営されている、学びサポートセンターおーでぃなり、誰かの役に立つだろうと思って毎日やってま~す🎵
