斉藤大介
私はお母さんをしていたお父さんです。
朝から天気が良いと、ついつい洗濯をしたくなります。うちは外干し派です。太陽を浴びた洗濯物たちをその日のうちに畳むのが好きです。ずーっとかけっぱなしにしてると、なんだか洗濯物の鮮度が落ちてしまうような気がします。
41歳で公立高校を辞め、「1年間小説を書いて、俺は小説家になる!」と周りに宣言しました。それから札幌に引っ越し、小説を書きながら1年間専業主夫をしました。息子はその時中学1年生、たぶん「親ガチャにハズレたあ~」と嘆いていたと思います。一日三食、奥さんの弁当、各種掃除に洗濯、公共料金の支払い、ゴミ処理、息子の中学のPTA役員、なんでもやりました。「家事に終わりはない」とよく言いますが、ホントそうだと思いました。小説はものにならず、自分の身の程を知りました。
1年間の専業主夫・小説家への挑戦の後、通信制高校で働くことにしました。家事はなんとなく、私7:奥さん3くらいの割合で分担し、できる方がやろうということに。息子の高校3年間は、家族3人分のお弁当を毎日作りました。美味しそうな弁当ができた時は、めっちゃ嬉しかったです。洗濯するのが好きになったのはこの頃です。
大学生になった息子が一人暮らしをすることになりました。夫婦二人の生活になったある日、奥さんがボソッと言いました「私、息子の中学から高校までの6年間、おかあさんしてなかった。」そんなことないよ、と思いましたが、考えてみたら、お母さんの仕事とされることの多くは私がしていました。奥さん的には引け目を感じていたんだと思います。
「わが人生に悔いなし!」とまではいきませんが、専業主夫・小説家への挑戦の1年間は、私に多くのものを与えてくれました。意外と家事好き、小説書く本気さ・才能がない、子どもと関わることに喜びを感じる、男だからって一人で家族を養う収入を得る必要はない、女だからって家族の世話をする必要はない、親が楽しく生きることが子どもにとって一番の教育などなど、いろんなことに気づくことができました。
何かしらの役割を担うのが大人というものだとは思いますが、その役割が全てではない。
たまには役割を交換したり、ガラッと変えることもいい経験になるし、楽しいことだ、と、お母さんをしていたお父さんは思います。
